1/29/2022

2022/1月の散歩(下野南河内)

2022/1/29
午後から下野市東部の旧南河内町へ
別処山運動公園内にある、別処山古墳は、全長約37mの前方部を西に向けた前方後円墳です

出土遺物は、銀装円頭大刀1振、三鈴鏡1面、銅地金銅張耳輪2点、錫製耳輪1点、鉄鏃9本、刀子2点の合計16点です。これらの遺物は、一括して栃木県指定文化財となっています。
 大刀は、随所に精巧で高度な技術による銀板・銀線を使用した装飾がなされています。儀仗刀と考えられますが、県内には他に出土例がありません。銀を多用した把の装飾や、制作の技法などから朝鮮半島系渡来人の工芸技術が想定されます。
 三鈴鏡は面径6.7~7.0cmで、重さ86.2g、鈴と鈴の間には半円形の鈕状のものが3個付き、鏡背は無文です。他に出土例がないことから、制作年代は不明です。
 鉄鏃はいずれも片丸造りの鏃身で、関は撥形に広がる台形をしています。この形式は6世紀前半に盛行するものです。
 耳環は石室奥壁近くから1点と、石室東壁付近から2点出土しています。前者の耳環は、細身の錫製で腐食が激しく表面が白化していますが、6世紀前半の古墳から多く出土しています。後者の一対の耳環は、銅芯に鍍金をした銀板を巻いた金環で、断面がほぼ正円で太く、6世紀後半の特徴を備えています。
 刀子は、刃部長6.4cmで鞘が木質、把が鹿角のものと、刃部長9cmで鞘と把ともに木製のものの2点です。
この古墳の被葬者が、下毛野地域はもとより大和王権との関係においても、相応な政治的地位や役割を有していたことをうかがうことができます。
河原石小口積の片袖型横穴式石室入り口
運動公園の脇にある、百観音堂には、木造百体観音菩薩像があり、町指定有文です
ガラス窓越しに堂内を撮影
いずれも江戸時代末期に制作されたもので、西国・秩父・板東の霊場百か所の観音をそれぞれ模刻したものと言われており、中尊十一面観音像を中心に、両側に50体ずつの観音像が配されています。昔から安産・子育て・家内安全など、地域のひとびとの守護仏として厚い信仰をあつめてきました。御開帳は毎年8月9日です。



公園の北部には、東根供養塔(ひがしねくようとう)があり、県指定有文です
銘文によると、元久元年(1204)佐伯伴行が妻とともに両親の菩提を弔うために造立した供養塔で、県内に現存する紀年銘を持つ宝塔としては最古であり、関東地方でも代表すべきものの一つです。
ここから少し東に、日光三(にっこうさん)神社がありました


本殿までしっかりとした神社ですが、あまり記録が残っていないようです

日光三神社の裏に上坪山坪塚古墳がありました
鎌倉時代頃の板碑が発見されたとのことで,その板碑により,当時の戦乱で亡くなった武将を葬った場所であり,その上に土を盛って塚としたものだということが判明したとのこと。つまり,古墳時代の古墳ではないそうです
さらにその脇には、真言宗智山派 東福寺がある
お城のおもちゃのような建物は、寶蔵院

観音堂

阿弥陀堂

阿弥陀堂内部

今日の夕食は、肉屋古谷さんの揚げ物
美味しいですよ!


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