1/23/2022

2022/1月の散歩(益子)

2022/1/23
昼食後、益子町の上大羽へ
尾羽の里交遊館に車を停めたが、周辺の案内もない公民館のようだ
右に地蔵院、左に綱神社の入り口
大羽山 地蔵院は、建久5年(1194)宇都宮城主宇都宮朝綱が建立した阿弥陀堂に始まると伝えられる。尾羽寺と称し、宇都宮氏の菩提寺である。

これは何だろう?
四つ足の山門をくぐる
観音堂は室町時代初期の寄棟造りで、町指定重文
茅葺屋根の上に銅板を被せている
十一面観世音菩薩を祀る
本堂は永正年間(1504~1521)の建立とされ、国指定重文である
推定樹齢500年の菩提樹は、町指定天然記念物
よく見ると、小さな実をいくつも付けている

地蔵院本堂は阿弥陀堂とも呼ばれる
ミツマタの花がつき始めています

推定樹齢600年の糸桧葉(いとひば)は、町指定天然記念物

お隣の綱神社へ

二の鳥居から石段です
何とも厳かな、綱神社本殿
三間社流造、茅葺屋根で、現在見られるものは1300年代後半から1400年代中頃までの室町中期に改築されたものという
鎌倉時代初期の建久5年(1194)頃に、宇都宮家三代朝綱が創建したものと伝えられている
1194年に朝綱は、公田横領の罪で土佐国国府へ配流されたが、土佐の加茂明神に無事の帰還を祈ったところ、1196年に無事帰国することがでたという
これに感謝した朝綱は、益子町の宇都宮家墓所の南に加茂明神を勧請し、土佐明神を建立し、これが綱神社となったというが、それならば1194年の創建とズレが生ずる
推定樹齢800年のシイの木も、町指定天然記念物
綱神社に向かって左手に、大倉神社があり、これも国指定重文
なんと大同2年(807)の創建で現社殿は大永7年(1527)の建立とされる一間社流造り茅葺きで、綱神社の摂社とされるが、こちらの方が400年近くも早い創建だ
この境内は、グッとくるものがある
綱神社背面の山に登り、本殿を後ろから失礼するが、藁葺き屋根の傷みを感じる
綱神社参道脇に「鶴亀の池」という庭園があるが、あまり管理はされていないようである
池のそばに、宇都宮家の墓所がある
三代城主の朝綱没後、初代宗円(そうえん)、二代宗綱(むねつな)の墓も移され、大正時代の三十三代正綱までの墓所だそうだ
ちなみに慶長2年(1597)、二十二代国綱は豊臣秀吉の怒りを買い、宇都宮市は滅亡したそうだ
その後水戸家の客分が、宇都宮家を名乗っているらしい

車を西明寺方面に向け、高舘山を目指す
302mの高舘山山頂
この一帯が高館城(たかだてじょう、(西明寺城(さいみょうじじょう))跡の本丸だと思われる
南北朝期には後醍醐天皇を中心とした南朝方の城として、西明寺城とよばれ関東六城のひとつに数えられた。この頃に、権現平を主郭とした城から高館山山頂部を主郭とした大規模な城に改造している。北朝方の攻撃を何度か耐えるものの、正平7年(1352)、関東六城の中で最後に落城した。その後、安土桃山時代には益子勝宗が高館城に居城を移すなど、16世紀まで使用された形跡があるが、案内札は一切ない
唯一の案内板は、県道262号線から山頂への入り口にある



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