茨城県結城市の結城城跡は、結城歴史公園とその周辺からなる
公園内の聰敏神社
旧結城藩水野家初代水野日向守勝成公(1564~1651)を祭神として祀る
栃木県小山市の小山運動公園を一周
結城城は治承年間(1177~1180)に結城朝光が築いたとされるが確証はない。むしろ南北朝動乱期に築城されたと見るべきであろう。
その後、結城家は室町時代に関東八家の一に列して勢力をふるい、戦国時代には宇都宮・佐竹氏らと伍して生き残り、天正19年(1591)徳川家康の二男秀康を十七代晴朝の養子にもらい受け、慶長6年(1601)越前福井への国替えまで関東の雄として栄えた。
結城氏の転出後、結城城は廃城となったが、元禄13年(1700)水野勝長(18,000石)の入部によって再興され、明治に至るまで水野家の居城となった。
結城の名を不朽にしたのは永享12年(1440)の結城合戦である。関東公方足利持氏が将軍義教と争って滅ぶと結城家十一代氏朝は、持氏の遺児春王丸と安王丸を奉じて兵を挙げた。
幕府は諸将に氏朝らの討伐を命じたが、結城落城まで一年余の歳月を費し、結城の名を天下に轟かす結果となったのである。
公園内の聰敏神社
旧結城藩水野家初代水野日向守勝成公(1564~1651)を祭神として祀る
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