小学校の修学旅行以来、来たことがあるだろうか?
華厳の滝
少なくとも、真冬の訪問は初めてである
男体山の噴火でできた中禅寺湖から、大尻川として流れ出し、
落差97mの滝となり、
エレベータで降りなくても、上部の展望台からは、このように見えます
華厳の滝展望台駐車場からの男体山
中禅寺湖の輝き
竜頭の滝も氷瀑
水の流れが見えません
戦場ヶ原からも、良い眺め(日光白根方面)
華厳の滝
少なくとも、真冬の訪問は初めてである
男体山の噴火でできた中禅寺湖から、大尻川として流れ出し、
落差97mの滝となり、
深さ4.5mの滝つぼを掘り
エレベータで降りなくても、上部の展望台からは、このように見えます
華厳の滝展望台駐車場からの男体山
昼食は華厳の滝傍のつるやさんで、焼おにぎり(出汁湯葉付き)と、湯葉乗せ肉まんと、
ゆば御膳中禅寺湖の輝き
竜頭の滝も氷瀑
水の流れが見えません
戦場ヶ原からも、良い眺め(日光白根方面)
県指定天然記念物で、樹齢約1100年とか
男体山への登山道が、ここから続きます
唐銅鳥居から登拝門。冬季は入山禁止です
本殿も国指定重文です
女人牛馬禁制を破って引いてこられた牛が石になったと伝えられる牛石
中禅寺湖畔から日光白根方面
男体山
中禅寺は、784年、日光を開山した「勝道上人」(しょうどうしょうにん)によって建立されましたお寺で、日光山輪王寺(にっこうざんりんのうじ)の別院で、坂東三十三観音第18番霊場
風神
雷神
鐘楼
明治35年(1902)9月に、台風の豪雨で男体山に土石流が発生。麓の民家などを飲み込んだだけでなく、中禅寺湖に津波を起こし、大谷川流域に甚大な洪水被害が出たそうです。男体山の崩れた土石流が中禅寺湖に流れ込み、高さ3mの津波となって中禅寺を襲いました。
勝道上人が船で湖を遊覧していた際に、湖上に千手観音の姿を感得し、桂の木に立木のまま千手観音像を刻んだという「立木千手観世音菩薩」を祀る本堂(立木観音堂)
男体山への登山道が、ここから続きます
唐銅鳥居から登拝門。冬季は入山禁止です
本殿も国指定重文です
女人牛馬禁制を破って引いてこられた牛が石になったと伝えられる牛石
中禅寺湖畔から日光白根方面
男体山
中禅寺は、784年、日光を開山した「勝道上人」(しょうどうしょうにん)によって建立されましたお寺で、日光山輪王寺(にっこうざんりんのうじ)の別院で、坂東三十三観音第18番霊場
風神
雷神
鐘楼
明治35年(1902)9月に、台風の豪雨で男体山に土石流が発生。麓の民家などを飲み込んだだけでなく、中禅寺湖に津波を起こし、大谷川流域に甚大な洪水被害が出たそうです。男体山の崩れた土石流が中禅寺湖に流れ込み、高さ3mの津波となって中禅寺を襲いました。
勝道上人が船で湖を遊覧していた際に、湖上に千手観音の姿を感得し、桂の木に立木のまま千手観音像を刻んだという「立木千手観世音菩薩」を祀る本堂(立木観音堂)
津波に流された立木観音でしたが、歌ヶ浜湖畔に流れ着いたそうです
その立木千手観世音菩薩を参拝できるのですが、堂内は撮影は禁止ちなみにその津波は、当然華厳の滝から大谷川へ流れ込み、日光の神橋も流されてしまったそうです
五大堂から本堂、中禅寺湖、日光白根を望む
五大堂の天井には、堅山 南風(かたやま なんぷう、明治20年~昭和55年、文化功労者、文化勲章受章)作の『大雲龍』 14×6mが描かれている
五大堂から本堂、中禅寺湖、日光白根を望む
五大堂の天井には、堅山 南風(かたやま なんぷう、明治20年~昭和55年、文化功労者、文化勲章受章)作の『大雲龍』 14×6mが描かれている
不動明王を中心として降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王からなる五大明王像が安置されている五大堂
般若の滝
この後、日光の温泉に浸かろうかとも思ったが、時間的に直帰することとした
江戸時代初期の作とされる宝珠地蔵
方等の滝般若の滝
この後、日光の温泉に浸かろうかとも思ったが、時間的に直帰することとした
日光道の駅に、ちょうどよい看板があった。今後の参考にしよう
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