3/01/2022

2022/3月の散歩(下館)

2022/3/01
茨城県筑西市の下館駅北口のアルテリオにある「しもだて美術館」で、絵本作家の「いわさきちひろ」展を見る
程近くに下館城跡がある
下館城は、940年代前後に「藤原秀郷」によって築城され、戦国時代には「水谷家」のお城になりました。
1639年に「水谷家」が成羽に移封となった後に「松平頼重」が5万石で入城、その後は譜代大名の「増山家」→「井上家」→「黒田家」と替わり、1732年に「石川家」が2万石で入城してから幕末まで続きます。
これを見ると、「五行川」の河岸段丘上に築かれて、最も北側に「出丸」を置き、その南側に「本丸」-「二の丸」-「三の丸」と配備した「連郭式」の縄張りであったようです。また西側には、「西城」の曲輪が置かれ、その中に「御殿」が建てられています。
下館城址碑

「本丸」には、「八幡社」が建てられ「本丸門」が南側にありました。現在でも、その「八幡神社」が現存していて、敷地内には「下館城址」碑が立てられています。


下館城出丸のすぐ北にある定林寺
文明10年(1478)に水谷勝氏が下館領主になり下館城を築城、文明13年(1481)に良室榮欣和尚(結城乗国寺5世住職)を招いて禅宗に改宗開山し、勝氏の法名「定林寺殿玉叟了圓大居士」から寺号を玉叟山定林寺に改められました。
その後、水谷家歴代の菩提寺として庇護され水谷家からは寺領150石の寄進や堂宇の造営などが行われ享禄元年(1528)に下館城内、寛永7年(1630)に下館藩2代藩主水野勝隆の命で現在地に移りました。
明治13年(1880)に火災により定林寺の堂宇、寺宝、記録など多くが焼失しましたが、永禄10年(1567)水谷勝俊が寄進した銅鐘(室町時代作、乳数4段4例、総高89cm、直径49cm)が残り昭和38年(1963)に茨城県指定重要文化財に指定されています。


境内の梅三景




0 件のコメント:

コメントを投稿