雨引山楽法寺
雨引観音へ、3人目の孫の安産祈願
河津桜が五分咲きでした
145段の石段は俗に「厄除けの石段」といい、一段一段登るごとに「南無観世音菩薩」と称号を唱えて登れば、145段を登りつめた時、厄が落ちるといわれています。
仁王門
用明2年(587年)梁の国人の法輪独守居士によって開かれた、厄除延命安産子育の霊験あらたかな延命観世音菩薩(国指定重要文化財)を本尊佛として、おまつり申し上げる坂東観音霊場第二十四番札所の名刹である。
ご本尊 -延命観世音菩薩- の御誓願は、ひとびとの病気を癒し、延命長寿を与えたまう息災延命の本願に住し玉いますので、安産子育・やくよけ延命の祈願の効験、ことにあらたかであるといわれております。
天平年中(730)第四十五代聖武天皇ならびに、光明皇后は法華経を書写して当山に奉納しご安産をご祈念あられたところ功験あらたかであったので、当山を安産祈願の根本道場と定めて勅願寺となされ、三重塔を造建せられた。
嵯峨天皇の弘仁12年(821)夏、大旱魃が国中を見舞うや、天皇は親ら写経し給い、当山に納めて、ひたすら降雨を祈らせられた(天皇の御染筆は寺宝として現存)天皇の御願むなしからず国中は大雨に潤い五穀ために実ったので御感浅からず勅命によって当山の山号を雨引山と定め勅額をくだし賜った。
筑波山
水子地蔵
建長6年(1254)宗尊親王の建立ですが、寛延4年(1751)2月炎上したので、寛政4年(1792)幕府旗本鈴木氏の寄捨黄金700両を得て再建された奥の院
延命水の泉の脇に立つ埴輪
埴輪から少し登ると、壷臘稲荷
開山の法輪独守居士が開創の折に、この土地神 壷臘稲荷大明神 を勧進し祀ったそうです。
そのさらに先には、開山堂があり、開山僧 法輪独守居士、国文学者で第二十世 恵岳上人、第二十四世 元盛上人を祀っています。
学業成就、進学成就の御利益があるそうです。
本尊延命観世音菩薩の袖よりしたたり落ちた聖水といわれる延命水があります。延命の御利益あらたかだそうです。
この霊泉の水を飲むとき観世音菩薩の霊力がその身に加わって、 延命長寿の功徳を頂戴出来るといわれており、遠近各地より延命水拝受の参詣者が絶えません。又、この霊泉はいかなる旱魃にも水渇れることなく、 千四百余年の今日に至るまで清らかな浄水をたたえて、参詣者に御利益を与えています。
古歌に
ひとしずく
手にむすびなば 雨引の
命を延ばす 薬井の水
と詠ぜられており、広大無辺な観世音菩薩の大慈悲心を、この延命水が具現していることを示しております。
午前中の仕事の後訪れたので、雨引山への登山は、次回にします