雨引山 楽法寺(雨引観音)
建長6年(1254)宗尊親王の建立した仁王門
現在の建物は、天和2年(1628)十四世堯長が再建したものであり、茨城県指定文化財です
天平年中(730)聖武天皇の后、光明皇后の造建したものが嚆矢です。
天和3年(1683)当山十四世堯長が、三重塔を再建しようとして良材を集めて塔の第二重目まで建設したが、病のため果たせず、十五世堯宗は先師の遺命を奉じて翌 貞享元年正月、工事を進めて円成しました。ところが不思議にも、本堂が震動して観世音が自然開帳となり、群衆は数十日にわたって雲集し建築の費用もとめざるに集まった といわれています。
嘉永6年(1853)元盛暢光両師協力して十万人講を勧進して、三重塔を改め多宝塔としたのが現在の塔です
建長6年(1254)宗尊親王深く当山観音を尊崇し、由緒ある仏堂が朽壊しているのを嘆かれ、 執権北条時頼に諭して当山本堂を再建せられたといわれ、工竣成して後三百貫文の封を賜ったと伝えられています。
文明6年(1474)真壁城主真壁久幹及び舎弟高幹の両名の合力によって五間四面の本堂が落成しました。その後本堂狭隘をつげるに及んで大永6年(1526)真壁治幹大檀那として七間四面の堂宇に改築されました。
天和2年(1682)第十七世文昭は十万人講を勧進してその資金を得て、遂に現存の大本堂を建立するにいたりました。